気持ちがほっこりする投稿を頂きました。

    
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 さいたま兄弟姉妹のI さんのお兄さんは入院してから長い年月が経っています。
病気とはわからないくらい安定していて、I さんとしは退院して地域で暮らして欲しいと思ってい
ますが、お兄さん自身はこのままでよいと思っていて、退院支援も望んでいません。

 それでも I さんは定期的に兄弟姉妹の会の仲間に声を掛けて一緒に面会に行き、お兄さんに
外の世界を知ってもらいたいと働きかけています。
 この文章は、東京兄弟姉妹の会の Oさんが一緒に面会に行った時、I さんとお兄さんに感じた 
 気持ちを書いたものです。
I さん、そしてお兄さんの気持ち、更にOさんの2人を見守る視線、それぞれが胸に響きました。


       疾風しっぷう)に勁草けいそう)を知る
今年は、観測史上最短の梅雨明けでしたが、その少し前の6月23日()はまだ梅雨しぐれ
の空模様で、会員I君のお兄さんのお見舞いに、埼玉県幸手にある東武丸山病院にお伺いし
ました。          
           ・・・・・・・・・・・・・・・ 

I君は、東京や埼玉の兄弟姉妹の会の例会では、自分から率先して話そうとする積極的な方
ではなく、人の話をじっと聞きながら自分のきょうだいに生かせそうな箇所を探すという、
どちらかというと動より静のタイプです。(←筆者も同じです。)
その理由の一端は、彼のお兄さんは、入院はしているけれど家族が手を焼いたり困り果てる
ような問題をひき起こすタイプではないからで、性格もカラッとした気さくな話好きな人。
また、だからこそI君の悩みが少し理解出来た気がしました。

思い起こせば、I君は、いつもこう言っていました。
「僕の兄は、兄弟会のみんなから比べれば、悲惨な事も無いしずっと良くて、その意味では
幸せなんだと思う。だから、そんな僕が兄弟会に来る悩みは、兄に早く病院を出て、グルー
プホームで暮らして欲しい事なんだ。」

お見舞い時間では、3人でトランプをして過ごしたのですが、I君が席を外すとお兄さんは
僕にこう言って考え込む感じになりました。
「俺は病院が居心地悪いとは思っていない。それよりか、一人前に働くことも金を稼ぐことも
出来ない俺が、金や生活のノウハウが要る世間に出てしまったら、きっとあいつに迷惑をかけ
しまう。あいつは来る度に外で暮らしたら、って言うけれど、そんな迷惑かけ放題の馬鹿な
兄貴が、世間のどこにいるっていうんだよ。」

一方のI君の気持ちは、こうです。
「兄は、おそらくたいていの人には病気に見えない。医者や看護師の言うことはちゃんと聞く
し、自分で服薬の管理もできて、問題行動も無い。でも、だからこそ、今は病院から出ること
で僕が散々恨まれてもいいから、病院の外で生きてほしいんだ。」

I君は、眼をちょっと湿らせて、更にこう言葉をつなぎました。
「本当に今は、いくら恨まれてもいいんだ。それで、10年後、20年後に、『あの時、出し
てくれてありがとう。良かったよ。』と、言ってくれる日が来れば。」
  
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・

雑草は、普段は目立たない。その一本々々は名前さえ覚えてもらえず、まとめて「雑草」と呼
ばれるような存在だけれど、木も倒れるような強風の時には、「頑張っていてあついらすごい
な」と、その存在が自然と眼に入る。
 
お互いが、お互いを思いやるからこそ疾風が吹いて、それからやっと、その中をそよぎながら
頑張っている2人を知った、そんな稚拙な僕なのでありました。

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ちょっと小話

ブログ担当Kの

ちょっと小話

「主治医面談 45分」

久し振りに兄の主治医と面談しました。
7年の長期入院になろうとしている中で、5人目の主治医になります。

最初の主治医はおっとりした感じの女性医師で、質問には答えてくれるものの
(主に減薬の可能性について)会話はあまり展開せず、あっという間に終わり
いつもモヤモヤした思いで終わりました。

次の先生もまた女性医師でしたが、兄が最も症状が激しかった時に担当となり、
激しい自傷を親身になって心配してくれていることや、私が面会に行くたびに
兄と付き添って一緒に売店に買い物に行ってくれたり、ゆっくり私の質問を聞いて
頂いたりと、その姿勢に私自身はとても助けられました。

次に担当した先生は院長先生でしたが、面談を希望しないまま担当が変わり、
次の4人目の主治医の面談の時から、私1人ではなくて誰かと行こうと決めて、
夫と2人で会いましたが、ここでちょっと新鮮だったのは、主治医はパソコンを
持って入って来て、私の質問に過去のデータを確認しながら、時にそれを
見せながら話をしてくれたことでした。減薬についてはリスクがあるという
言い方で、頭から否定しない感じもよかったし、何よりも、同じテーブルについて
一緒に考える、という可能性を感じました。ちなみに私も夫も面談しながらしっかり
メモは取りました。

そして今回の5人目。あまり期待してガッカリしてはいけないと思いつつ、また夫と
2人で出掛けましたが、主治医は今回もパソコンを持って入って来て、今度は最初
から最後まで、パソコンで記録を取りながら?私たちの質問に丁寧に答えてもらった
という印象で終わりました。その医師は「お兄さんが幻覚は良くならなくても自傷他害     
はよくなっている今、このまま長期に入院するのもどうなのかと思っていました」と言
っていました。一方でこれまで繰り返されてきた激しい症状の中での減薬の難しさや
新しい治療の選択肢について話をしてくれました。

更に医師からは初めて「担当のケースワーカーに話をしておきます」という言葉を
聞きました。退院後の生活、という視野を入院患者の多くの主治医は持っていない、      
と正直なところ思っていたから、これも新鮮なことでした。

面談時間45分、兄の状態は変わらなくても、何かが変わっていく可能性を感じた
45分でした。

       

ちょっと小話

  ブログ担当Kの
     ちょっと小話
      「これも W ケア??」
  
父は今年で90歳、当事者の兄は61歳になりました
 父は兄が入院した翌年の5年前、一人暮らしの実家から出て私の近くの見守り付き
 高齢者アパートに入居させ、さらに足腰が弱って昨年から特養に入って貰いました

 兄は6年前から病院に入ったきりで、病院でトップの重い患者と言われたこともあ
 るくらい、一時期は自傷行動が酷くて目の離せない状態で、今も妄想に入った状態
 が多く、けっして安定しているとは言い難い状態です

 子育てと介護を一緒にしなければならないことをWケアと言うようですが
 私自身は父とも兄とも一緒に住んではいないにしても、それぞれの特養、病院側との
 契約から始まり、日々の必要な日用品の調達や支払い、定期的な面会やスタッフや
  看護師さんとのやり取り、ケガや体調悪化での他医療機関への付き添い受診
  確定申告始め、兄と父についての役場とのやりとり、等々、細かいことを入れると
  結構な労力を二人にさいてきて、兄弟の世話と親の世話、これもWケア??
  なんて思ったりします

  父には1週間に一回、兄には3週間に一回、面会をしているのですが、最近あれだけ
  しっかりしていた父が、どんどん認知が悪くなってきている感じで、なんだか面会の度
  に、兄と父とよく似た感じの印象を受けるようになりました。確かに兄もあと4年で介護
  保険を使える年齢、薬の影響もあり、たぶん老化も早いでしょう

精神の病気も老化も混然一体となって、人の生きる現実を私に見せてくれてるようで
「良くも悪くも、これも人生勉強かなぁ」など、訳わからないようなことを心のどこかで
つぶやいていますが、これからは自分の老化とも深くお付き合いすることを考えると、自分の
人生を大事に生きないとなぁとも思うのです。 だから さんざんお付き合いしてきた父、兄との
距離も更に手放していけたらなぁとも思っています
         
                        



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